戸山流とは

大正14年陸軍戸山学校で制定されましたものです。

陸軍戸山学校とは

1.明治6年陸軍最初の学校で、当初は欧式軍備の充実と各種調査研究を目的に創設されました が大正時代は体育武道と軍楽が主体となりました。

2.大正4年、接戦格闘が重視され片手軍刀術から両手軍刀術に改め、一般の剣術と同様にする 等軍刀操法の研究と普及が主力になりました。

戸山流の構成

1.修得が容易で簡単・・・・・誰もが短期間で容易に修得できる。

2.合理的・・・・・・・・・理屈に合致し特別な習練を要する技を除いている。

3.実戦に即応出来る・・・・・・・全て立ち技とし、座り、胡座、中腰は除いている。

4.旧軍隊の基本教練に合わせて、各技左足から出る。尚、戦後現在は、他の日本の武道同様に右足から出る。

                                      戸山流武柳派とは

倉橋師範が戸山流居合抜刀術美濃羽系向田派の免許皆伝した時、当時の宗家(故)向田先生から免許皆伝の免状は10年外部に出さないでほしいと要望があり、倉橋師範が独立の時 戸山流を自己で 修練及び指導していくうえで、美濃羽系向田派の免状は、10年間外に出せない為苦肉の策として、現在所属している全日本正柳館連盟柳沢流護身術宗家の後押しもあり開いた会派である。
尚、向田先生は、平成30年3月に他界された為、美濃羽系向田派の免許皆伝の免状は外部に出せる状態ですが(故)向田先生が生前の時、すでに倉橋師範は、武心塾から離れていた為、そのまま武流派を名乗ることにしました。
内容は、美濃羽系向田派がその母体団体より、独立した時変更した技を、倉橋師範の独断と偏見で一部技を元の団体の技に戻してあるのと、美濃羽系向田派で正式なのか、応用なのか、はっきりしない技を整理した会派である。


戸山流居合抜刀術(武柳派)科目標


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